この文章は、松村咲希個展「絵肌にシュプール」2023/10/06 - 21 GALLERY SCENA. by SHUKADO での展示会場での作品解説のために作家により執筆されました。
松村咲希個展「絵肌にシュプール」 「Spur on Surface」
■地元と作品
昨年の秋、地元長野県野沢温泉村に成人式ぶりに帰った。展示に呼ばれて。いままでなかなか帰らなかったのは、子供のころには田舎生活が窮屈に思えたから。だから絵を描き始めて、京都に出てきてからはすっかり遠のいていた。しかし、帰ってみると「野沢の景色は自分の絵によく似ている」と思った。野沢は人口3000人程度の冬の観光地で、山の谷間に温泉と民宿街、棚田と農地、山全体を使ったの広大なスキー場がある。村の景色はまるでキュビズムのように民家、民宿が入り組んで立ち並んでいて、すべての道が坂道で、どこでもザーザーと山水の流れる音がする。
帰郷の少し前、美術評論家の三木学さんが、「作家には、育った風土から受ける影響があるから」と、私から幼少期のことをヒアリングして文章を書いてくれていた。地元と疎遠だった私としてはそうだろうか?と半信半疑だったが、久しぶりに地元に戻って散歩してみると、しみじみ、ここで培った感性が絵に表れていたのかと思った。
■子供のころの思い出
私は93年から、2011年に京都造形大学へ入学するまでを野沢で過ごした。子供のころの記憶で思い出すのは岡本太郎の村役場前の彫像「乙女の像」によじ登って遊び、くりぬかれた目の奥の暗闇が怖かったこと。毎年の道祖神祭・火祭りの乱闘と業火のこと。
今ではすっかり行かなくなってしまったが、子供の冬場の遊びはもっぱらスキーだったことも欠かせない。子供はみんなちびっこ暴走族で、山全体を使ったスキー場をスピード全開滑走しで派手に転げたり、コースの真ん中で座り込んでいるお客の脇をワザと雪を散らしながら滑ったりした。山の地形とスピード、日々違う雪のコンディションに、どうにか振り落とされぬよう格闘する感覚、寒さで真っ赤になった顔や手足。新雪に乗り出して、コースに自分だけの滑走跡に感動すること。
■巨人ごっこ
そんな一方で、一般家庭に普及し始めたパソコンやテレゲームで夢中で遊んだのも思い出深い。今になってよく思い出すのはゲームキューブで遊んだ「巨人のドシン」。語り部ソドルの導きで、巨人を操作してニンゲンたちの住む南の島バルド島の地形を変え、ニンゲンの生活・文化発展を助け、また気まぐれに破壊したりする。そこでは防げぬ自然災害も起こる。ニンゲン文明を最高値まで導くとバベルの塔が建設され、それは突如として天変地異に飲まれてしまうエンドシナリオがあるらしい。下手なプレイで完全クリアこそできなかったがこのゲームを何度も繰り返し遊んでいた。
大人になって知ったが「バルド・ソドル」とは死者を輪廻に導くチベットの書の名前で、そういう世界観がつまっているゲームだった。
今の私は、絵を描いているとき「私は巨人」と思って絵具を画面に投げつけている。キャンバスを大地に見立てた巨人ごっこ遊びだ。私にとってのリアリティは、自然の風土のなかのちっぽけな私と、スケールを切り替えて、巨人になった私の想像世界へジャンプできるようなデジタル的感覚、その両方にあるように思われる。
■最近の小さなチャレンジ
今年の春から作家活動一本になった。それまでは画家のアシスタントなどのアルバイトをしてたが、「人の為にとわざと忙しくして、自分と向き合う事から目をそらしてない?」と思う事があった。それで、アシスタントのバイトをやめた。まずは自分が食べたいものを探して食べることが自分に課した修練だった。(食べたいものを探さないとわからないって結構自分を見失っている!と驚いた。)
そうこうしているうちに、作品にも新しい試みに少しずつ手が回るようになった。
今年は特に苦手意識のある展示について、新たなチェレンジしてみようと思った。パーフェクトじゃなくてOKで、小さなアイディアから実現すればよいとした。
■ヒュドラ?壁から解放する展示。
展示について考えていると、そもそも壁に飾るということが気になるようになった。私の制作方法は、下絵をデジタルで考え、実際に描く時は平置き、壁掛け、と常に絵を回しながら進めていく。しかし、展示の際には壁にかけなければならない。あんなに自由に取り扱っていたものが、固定されてしまう。
その抵抗から、初めにしてみたことは、スクエアキャンバスをダイヤ型に展示すること。
どっしりとした□より、◇の方が、浮遊感があり、回転しそうな予感を感じる。
そこから、回転や重力というイメージが強くなり「絵そのものを動かせたら」と思った。本当は絵をぐるぐると回転させたかったのだが、当初はやり方がわからず断念した。
その代わり、夏には金沢での個展で3点の絵にディスプレイアームを付けた見立てで展示を行った。壁から解放された絵は、鎌首をもたげたヒュドラのように見えた。絵が自ら意思を持って動きそうな気配がする。画面は威嚇し、壁からせり出て、「私を見よ!」と言っている。
ところで、いつも側面まで描きこむことにしている。それは、絵を描いていると、絵は平面であり立体でもあると感じているから。だから、私の絵は正面やイメージだけではなく、180度色々な角度や距離で見てほしい。
夏にヒュドラになった絵は、鑑賞者をより移動させる効果があることがわかった。また、つい180度を超えて裏を覗きこませることも!裏を覗けば、ハリボテ構造、絵が絵であることが確認できる。
■回転する月の絵。
技術がなくてあきらめた回転する絵は、ターンテーブルを使う事で小さく実現した。軽い絵ならば、簡単に回転させることができる。そこで、筆致だけの凹凸の絵を乗せることにした。巨人ごっこで作った地表だ。凹凸に色で明暗をつけている。これが回転によって輝きと陰りになり、月を連想させる作品になっている。
月は凹凸の技法のインスピレーション源だ。月のクレーターの白黒写真を見た時にコントラストの強さがとても不思議に見えて、絵具を地表に見立てて盛り上げ、陰影を強調する塗装を行うことを始めた。
また、長野から京都に出て一番印象深かったのは月が大きいことだった。昔話の挿絵のように見えるものだと思った。京都では山が低く、月も低くまで落ちるので大きく感じられるようだ。
絵具の盛り上げの技法があることと、月を肉眼で見たときに、球というよりも平面的な円に感じられた経験がこの作品制作のキッカケになっている。だからこの作品には側面は描かず、正面性と立体感と回転によって、絵に描いた月が出来上がった